プロの踊り手になれる人は・・・映像記録・私見!

いままで多くのフラメンコ発表会を撮影していて思うことは、プロの踊り手になるような人は、はじめて3年から5年くらいで、ある程度まで一気にうまくなってしまう。そこが大切で、輝く踊りを続け、躓かないで一気にどこまでうまくなるかが勝負になる。
しかしある時急に停滞する。それまで、踊る度に驚かされていたにもかかわらず、何だか進歩が目に見えなくなってくる。マンネリ感が漂い、魅力が一気に失せる。
多くの練習生は踊りに雑さがなくなり、粗がなくなり美しくなっている。しかし、ここでフラメンコにとって最も大切なエネルギー、殺意のような感覚が失われてしまう人も多い。しかし、この時、実力がプロの域に達しているかが大切なのだ。
残念ながら、多くはプロのチカラまで達していない。ここで終わりなのだ。ある域まで達しているのは、ホント稀にしかいなしかしいのだ。
逆に変な癖を日本人だからつけてしまったりして脱落する人もいる。
特に日本人男性舞踊家に多いが、サパティアートを打つとき、腰を落として打つ癖を身につけてしまう人が多い。これはスペイン人ではあり得ない変な踊りなのでとっても残念だ。
ある程度完成してから、そこからまた更に伸びていくような踊り手は本当に少ない・・・がいるのだ。

それは映像という仕事で関わっていてとても期待もしている。
そういう踊り手が独創性を追求して、一流になっていく。そういう人には。茨の人生が待っている。それがプロの道だ。

プロとして、僕がその一流を感じられるアーティストは、数十人知っているアーティストの中で、小島章司先生、AMI(鎌田厚子)先生、鍵田真由美先生だ。
追求する踊りも精神性もそれぞれ違う3人だが、とても尊敬できるアーティストである。
僕は、今の30代以下の踊り手をあまり知らないが、この人たちに続くアーティストが生まれることが楽しみだ。是非、知り合いたいといつも思っている。
プロのカメラで記録する大切さも知って欲しいといつも思っている。

以前、大沼由紀さんが公演を販売したいと言うことで、編集調整をうちでやったことがあった。しかし残念ながら、クオリティの悪いカメラで撮影された作品はどうにもならなかった。プロの映像制作者からみれば、記録も台無しである。
自宅でクルシージョというパセオから出ている教則を編集しているときも、岡田昌巳先生や高橋英子先生の映像記録に対する希薄さには驚かされた。画質の悪いカメラでしか記録されたものがないのだ。
二人の先生とも、僕の言うことを理解してくれて、クオリティの高い映像の大切さをわかってくれるようになったのは嬉しい。

そういうことに気づかないアーティストがあまりに多いのでいつもがっかりする。
是非、記録することの大切さも知って欲しいと思っている。

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